三尺坊大権現の御縁起   

                                                            ( 秋葉総本殿可睡斎御縁起による)

 昔より火防の神様として、万人信仰の御主体である秋葉三尺坊大権現と申すは、観音様の御化身として、古き縁起によれば信州にお生まれになったお方で、その母、常に厚き観音の御信仰によって聖子を生まんことを専心祈念の折柄、一夜夢に観世音菩薩が迦婁羅身(観音三十三身の内)を見せ給うによって懐胎してご誕生になったという。幼少より聡明英知に人皆驚くばかりでありました。七歳にして出家して、長ずるにしたがって学徳すぐれ高僧となられしが、更に世を救う大力量を得んと欲して、越後の長岡蔵王権現の十二坊の第一たる三尺坊に篭りて、大慈悲心と大勇猛心とを発し、失火延焼の難を逃すを第一として、十三か条の誓願を立て、一日に千座の護摩をたきて、三十七日間不動三昧の修法ありしという。その満願の暁、護摩壇上の香煙中に迦婁羅身を感見するや、累劫の煩悩一時に滅儘して、飛行自在の力を成就遊ばれしとき、空中より観音経の(遊諸国土脱衆生)の天音が聞こえ、実に懐妊の時、母の奇瑞と思い合わせて我まさしく観音の化身なることを自覚し給えば何れよりか一頭の白狐の来たれるに乗りて化縁の地を求め、天涯に飛行し給うた。それより御修法遊ばれし坊の名によりて、三尺坊大権現と尊称するようになった。かくして諸国に飛行して救済遊さる内、平城天皇の大同四年に神足を遠州秋葉山に留めたもうのである。その故は秋葉山は以前より行基菩薩の開基にて、ご自作の観世音を祭られたる霊場なるがゆえにこの地を慕い、ここを自ら鎮座の道場として秋葉三尺坊大権現と称し世人の信仰をあつめられたのであります。



遠州可睡斎に奉祭する秋葉総本殿の称号は、明治六年に秋葉寺より上に述べた秋葉三尺坊大権現の御遷座より起こったのであります。秋葉山に秋葉寺というのがありまして、千年有余年来三尺坊大権現によって火防祈願の道場として、上は御皇室より全国津々浦々に至るまで、万民信仰の中心でありましたが、明治維新のみぎり神仏分離を発布せられました時、無檀家無住の寺は廃止せらる、というおりがらたまたま秋葉寺は住職を欠いており、信者は全国に亘りありましたが、檀家というものが無かったためついに廃滅の厄にあいました。よって秋葉三尺坊大権現の御身体、ならびに秋葉寺に付帯する一切の物件はことごとく以後、可睡斎に移されるようになりました。而して秋葉寺の跡には秋葉神社が祭られ、秋葉寺も後年に至り再興せられてはいますが、三尺坊大権現の御本体は可睡斎に鎮座しております故、可睡斎をもって秋葉総本殿と称しております。

当院の秋葉三尺坊大権現は可睡斎安居の因縁を頂きました福聚院現住持が当山鎮守の守護神として、信心なる皆様の心願成就、災難防止されんことを祈り奉祠致しました。