仏教語あれこれ2
 安居(あんご) 行脚が諸国を遍歴するのに対し安居はその逆の意味、つまり一定期間そこに留まり集中的に修行することをいう。夏安居、冬安居がある。安居の安は身と心を静止の状態にすること、居は一定期間居住するということで九旬安居といって約100日間禁足して修行にはげむのです。
 安心(あんじん) 「あんしん」とも読みますが仏教的には「あんじん」と読みたいですね。いずれにしても心が安らかであるということを指します。安心してない時ってどんな時でしょう。恐ろしがっているとき、迷い悩んでるとき、悲しんでるとき、怒ってるとき、これらの煩悩を取り除いたときに安心がえられるのでしょう。
 安楽(あんらく) 安楽に暮らす。安楽な境遇。等心身に苦痛がなく楽々としていること。と広辞苑にはありますが、、、お釈迦様時代のインドに「ヤサ」という若者がいました。長者の息子でしたので何不自由なく暮らしており、傍目からみればそれはもう楽しい毎日を過ごしていました。大勢の侍女にかしずかれて幸せでしたが、ある朝女達より先に目を覚ましてしまったのです。ふと女達の寝姿をみると、髪を乱し、よだれをたらし、昼間の美しさとはまるで違うだらしない姿をしているではありませんか。「ヤサ」はむなしさで一杯になり自分のもとめる安楽とはこういうものではない、と出家し法楽をもとめました。
 以心伝心
  (いしんでんしん)
文字どおり言葉を用いないで心から心へ伝わることをいいます。私もこんな光景を見たことがあります。電車に乗ったときのことです。空いている席に座りましたが目の前に老夫婦が並んで座っており、しばらくしたらおジイさんのほうがいきなり手をおバァさんの膝の上においたのです。おばぁさん無言でヒョイとティッシュをとりだしおじいさんへ、おじぃさん鼻を噛んだかとおもうとすぐにまたおばぁさんの膝の上に、、この間無言なのです。以心伝心とはこのことかと思いましたね。
 韋駄天走り
 (いだてんばしり)
韋駄天は誰よりも足の速い神様なのです。仏法の守護神で増長天の八将軍の一人で鬼が仏舎利を奪って逃げたときに追いかけて取り戻したという。こんな俗伝から足のはやいことまたは人をいうようです。
  一期一会
  (いちごいちえ)
一期一会とは茶道から来た言葉で、出会い、因縁を大切にということ。毎日毎日が二度とやってこない一日であり今日出会った人とはもう会えないかもしれない、世の中は無常です。いまやっておかなければならないことは今のうちにです。道元禅師いわく【光陰は矢よりも迅かなり、身命は露よりももろし、】
  一蓮托生
  (いちれんたくしょう)
ご存知のように蓮の花は仏様の花です。泥中の蓮華、という言葉もあるように仏となったものたちは皆蓮華台にのっています。一蓮托生とは死んでしまったら皆んな同じところにいきつくということです。
 一念発起
  (いちねんほっき)
一念とは極めて短い時間のことをいい、発起とは発起菩提心の略です。つまり仏の教えを聞いている一瞬のうちに菩提心を起こすということです。菩提心とはさとりを求め努力しようと行動をおこすことです。
 一味(いちみ) 「強盗の一味」などと悪い意味に使われがちですが一蓮托生と同じような意味あいがあります。海の水がどこでも同じ味であるように仏の教えは時や所や人に応じて多種多様であってももとはみな同じである。ということです。
 一所懸命
 (いっしょけんめい)
賜った一箇所の領地を懸命に頼りとすること。と広辞苑にはあります。一所懸命と一生懸命?一生かけて懸命になっていたのではちょっと大変かな。一つのこと(一所)に対して懸命にする。というほうが適切なような気がしますが、、、
  一服(いっぷく) ( ^。^)_旦~ お茶でもどうぞ     
栄西禅師が中国からお茶をはじめて伝えたころは薬用としてお寺のなかだけで飲まれていたようです。その後このすばらしい飲み物は禅のお茶の作法とともに茶道となって一般にも広がって言ったのです。お客様がみえたらまず一服さしあげますが、これは仏様にさしあげる作法がそのまま応用されたものと思います。仏様はサイシンしませんから一服でいいのです。
  因果(いんが) 今ではよく、親の因果とか因果な商売というように使われますが、もともとは原因と結果という意味であり、よい善行・努力を重ねればそれなりに報われよい結果が現れる。ということでしょう。
  引導(いんどう) 引導を渡す、なんとなく最後通牒を告げる言葉のようですが、文字通り人々を導いて仏の教えのなかに引き入れることです。今では葬儀のおりにしか唱えられなくなっていますが、引導法語はなかなかの名文句がおおいのでよく味わいたいものです。
   因縁(いんねん) 因果と関連している言葉です。因縁の縁は全てのものは関わりを持っているよいう意味です。春に田植えをすることは、それを育てることが、実りの秋収穫されたお米がです。
   嘘も方便 ある家が火事になりました。子供たちが家の中で遊んでいましたが、この火事に気がつきません。父親は「火事だから外に出なさい!」とどなりましたが子供たちは何のことかわかりませんでした。すると父親は「おもしろい車があるよ」といいました。車ときいて子供たちは火の家から外に飛び出し火災から逃れられたというお話があります。父は嘘をついたが、子供たちを救いました。このように相手を助ける嘘は嘘とはいわず方便といいます。自分の立場を防護する為に口からでたらめをいうのとは大違いです。
   有頂天
   (うちょうてん)
ほめられて有頂天になっている。とか有頂天になるなよ!とかに使われる。広辞苑には世界の最も上に位置する理想世界とある。そこに登りつめた様な気になってうぬぼれてしまうことをいう。いやはや気をつけましょう。
   雲水(うんすい) いく雲のごとく、流れる水のごとく、菩提心にもえ仏道修行する僧のこと。現在では修行道場に身をおいている安居者のことを一般に雲水という。