仏教語4

 六根清浄(ろっこんしょうじょう) どっこいしょ、っていう言葉がありますがどっこいしょとは六根清浄がつまったものと伝えられています。
目、耳、鼻、口、体、心。この六つにはそれぞれ根元があって、これを綺麗にしておかないといけません。六根を清浄にしておけばきれいなものが見え、いい音が聞こえ、におい味はそのままに、全身に幸せを感じることができるのです。梅花詠讃歌のなかに「にごりなき心の水に澄む月は、波もくだけて光とぞなる」という道元禅師のうたがあります。
心根の綺麗な人にとってはこの世こそ極楽そのものかもしれません。
   老婆心 (ろうばしん) 自分のことは一切考えにいれず只、相手をおもいやる心、これを老婆心といいます。姥捨て山の話をご存知でしょうか?ある地方では年老いた老婆を山に捨てるという話です。ある日村の一人の男が年老いた母を背負って山に捨てに行く途中のこと、背中に背負われた老婆が木の枝を時々捨てているではありませんか、「さては母は捨てられたあと一人で山を降りられるよう目印をつくっているんだな!」男はそう思いました。さて母をおいて帰る段になってお母さんはこういったのです「今、山を登ってくるとき、お前が帰り道を間違えないように枝をおって目印をつけておいたよ。それをたよりに気をつけて里へ帰りなさい!」自分が捨てられようとしながら、なお我が子の為に道しるべを残してやろうとする親心に男はいたく感動し、親不孝を詫びるとともに再び母を背負って山を降りたのでした。
   冷暖自知 (れいだんじち) 水が冷たいか暖かいかは、自分が直接飲んだり手をいれたりしてはじめて感知できるのです。人から聞いた話は自分の感動ではありません。富士山の頂上での感動は聞いただけではわからないのです。自分が頂上に立ってみてはじめてわかることです。
    恋慕  (れんぼ) 恋慕うこと、とても仏教から来た言葉とはおもえませんがお経の中にでてくる仏教語です。法華経に「衆我が滅度をみて広く舎利を供養し咸く皆恋慕し懐いて渇仰の心を生ず」とあります。こうしてみると異性を恋い慕うというわけではないようですね。
   礼 (れい) どのような事柄においても礼に始まり礼に終わる、というのが人間文化の基本です。学校では授業の前に先生と生徒が、警察や自衛隊では敬礼!神仏の前では礼拝を、剣道、華道、茶道すべて礼が基本です。お寺で使う礼の種類を紹介します。
三拝、九拝、合掌低頭、長跪合掌、五体投地、称念、などなど 「実るほど頭を下げる稲穂かな」
    立派 (りっぱ) 大問答に打ち勝って派を立てる、という仏教語そのものです。禅宗では一人前の住職になる為に晋山結制のおり問答という関門を通らなければなりません。新命住職は大汗をかきながら質問に即答し、百槌師の「よくやった」という証明のカチッ!という音を聞いてはじめてほっとし一人前の住職として一歩をふみ出します。長い間の修行がみのり人からみとめられてはじめて立派といえるのです。
     力士 (りきし) 大相撲初場所がおわり栃東が優勝しましたが、琴三喜、千代大海も大変よかったです。お隣夷隅出身の十両春日錦も10勝あげいい場所でした。、大きなお寺の山門の両脇に筋肉隆々としてみるからに力強い像がまつられています。これが金剛力士とかに王様とよばれる守護神です。この仁王様の姿から、足を踏ん張って立っていることを仁王立ちといいその金剛力士のような力を金剛力、またその力をもっている人を力士と呼ぶようになりました。鶴見の大本山總持寺の山門の仁王様のモデルはもと横綱「北の湖」といわれています。