仏教語あれこれ!!
    ジャンケンポン 勝ち負けや順番を決めるときに一番手早い方法は「ジャンケンポン」ですが、この言葉のルーツは仏教語の「料簡法意」(りゃけんほうい)といわれています。「料簡法意」というのは、法の意志を料簡すると言う意味で、何か事を決定するときにこれを用いるとされています。つまりジャンケンポンは、天の意志を拳の勝負で推し量る方法なのです。ちなみに、大阪や鹿児島などでは「ポイ」ではなく原語に近い「ホイ」がつかわれているようです。
    利益 (りやく) リエキと読めば商業的によく使われて、もうけや得のこと、リヤクと読めば宗教的となって神仏の恵みのことを指すようですが根本はおなじです。利益とは神仏の恵みのことです。私達はその恵みによって生かされているのです。ですからその利益に感謝し、恩に報いるのが本来といえましょう。
     欲 (よく) 欲界とは本能的欲望が盛ん過ぎる人間界のことです。欲には、財欲、食欲、性欲、名誉欲、睡眠欲の五欲があり、人間に特徴的なお金を欲しがる心=財欲によって代表されます。欲があるということは生きている証拠でもありますが、気をつけて付き合わなければならない代物です。欲張って失敗した例は沢山あります。
    無我 (むが) 何か物事に熱中すると、我を忘れてしまいますね。 私の例でいえば将棋が大好きで指してを懸命に思慮しているときなどは人に名前を呼ばれても気づかないときがあります。この我を忘れる現象を忘我といいますね。 物事に心を奪われてしまったのです。 熱中している物事と自分とが一体となってしまっているときは、我も他もありません。無我夢中と言う我の無い状態だと考えられます。仏教で無我と言う時は、「全てのものに我は無い」と言うことで、無我夢中の夢中とは違いますが、無我であることに変わりないでしょう。さて、仏教的には忘我より忘己が大切です。自分を忘れるという点では似てますが、忘己の裏には必ず利他がついているという点で違うのです。 道元禅師は  「自己を忘るるというは万法に証せらるるなり 万法に証せらるるというは 自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」  とおっしゃってます。